★6/18(土)は 「住宅の泥出し作業」でした。
↑まずは、宿から石巻の共産党災害支援センターへ。中央地区委員会に寄せられた物資(野菜、米、味噌、などの食料品、おむつなど)の積み下ろし。
↑フル装備。ハエと蚊が大量発生しているという前情報があったので。誰だかわかりませんね。
↑鹿妻(かずま)の東公園にて。ブルーシートの上に運んできた物資を並べました。野菜、米、味噌、箱ティッシュ、タオル、石けん、などなど。
東日本大震災の行方不明者の1/4が石巻市民だそうです。がれきを撤去している重機もちらほら見られましたが、全体としてまだほとんど手付かずです。石巻では、1年間で出るがれきの100年分がすでに出ているそうで、集めたところで持って行き場がないという状態です。
人的・物的支援がまだまだ必要です。復興のため、これからも力を尽くしていきます。
↑至る所に船が乗り上げています。水の威力はすさまじいです。
↑住宅街の公園では、すべり台の横にも船が...。
↑どこからか流れついてきたというアパート。部屋番号から察するに、2階部分のようです。
↑川口町の住宅にて。床板をはがしての「泥出し作業」。重労働です。これから暑くなればさらに過酷な作業になります。
↑休憩時間。おうちの方が飲み物、お菓子を差し入れて下さいました。
住宅1階の天井まで浸水したそうです。庭にも砂がたまり、堀り進めるとヘドロが出てきて、匂いが強烈です。
扉やサッシ戸もとれてしまったので、住民の方は今は知り合いの家に泊まり、ここに住んではいませんが、時間を見つけては片付けに来るそうです。
「最初は呆然として、どこから手を付けていいか何も考えられなかった。留守にしていると、庭に粗大ゴミを捨てていく人もいる。毎回来る度に、何だか物が増えていくの」と嘆いていました。
建物は残っていても人が住める状態にするまでにはまだまだ時間がかかります。近所に人が住んでいる気配がない中で、住める日を目指して、片付けをコツコツ進めるというのは、しんどいことです。「やる気」を出すのが大変だと思います。
↑戦争の後のような石巻市内の光景。がれきの町並みが続きます(車から撮影)。
↑建物はポツリ、ポツリ、しか残っていません。
★6/19(日)は 「支援物資の配布作業」。
↑鹿妻(かずま)の東公園にて。ブルーシートの上に運んできた物資を並べました。野菜、米、味噌、箱ティッシュ、タオル、石けん、などなど。
↑開場前から公園の入り口には列ができていました。
↑衣類もたくさん集まりました。
やはり食料品は人気です。バスタオルもすぐになくなりました。大人用おむつは、今回小さめサイズが多かったので「Lサイズはないの?」と何度か聞かれました。衣類は、普段着として気軽に着られるものが人気のようでした。
1日目、2日目と違う作業に参加できてよかったです。被災者の方とお話することもできました。
3ヶ月のお孫さんを連れて、奇跡的に助かったおじいさんの話も、考えさせられました。津波から逃れるため、車で日和山を目指したけれど、道は長蛇の列。あきらめて迂回し、海により近くはなるけれど、自分の仕事場(鉄工所)に戻り、事務所の2階にたどり着き、10分後には津波が押し寄せたそう。3日後に、胸の高さにまで引いた水の中を泳いで、救助を呼びに行き、最終的にはヘリコプターで引き上げられて命をとりとめたそうです。「運ってなんだろう...」。