今年4月の区長選に矢田区長は出馬せず、区長の職を辞するとしていますが、中央区長として最後の所信表明がありました。
区長が就任した1987年当時、地価高騰と底地買いの横行で、急激な人口減少とまちの空洞化が進んでおり、区長は切実な危機感から「都心に人が住めるようにしよう」と「定住人口回復」に取り組んできた。当時は、「都心居住は現実的ではない」など、国や東京都を含め周囲からの見方は冷ややかで、いわば孤軍奮闘のような状況だったけれど、信念をもって「快適な都心居住に向けたまちづくりを進めてきた」と述べ、人口回復に向けた様々な取り組みや区の努力の結果、97年には7万人を切るのではないかという人口減少に歯止めをかけ、昨年5月には59年ぶりに16万人を超える人口回復となりました。
国や東京都の「冷ややかな対応」に抗して、区民の暮らしを守るために頑張ることは、地方自治の神髄だと思います。
しかし、急激な人口増で、さまざまなひずみが生じていることも直視しなくてはならないと思います。
1997年には区内ほぼ全域に、地区計画の変更でマンション建設の誘導策を導入しました。当時の都市計画審議会で、日本共産党の森山一委員は、建て替えを促進するための地区計画変更が、乱開発につながる「もろ刃の剣」だと指摘しました。その指摘通り、規制緩和の恩恵を受けて、マンション建設が各地で進み、区外からの入居者が増えて、急激な人口増加となりましたが、立ち退かざるを得なくなった人、区外に転出せざるを得ない人も多かったことも忘れてはならないのではないでしょうか。
日本共産党区議団は、大企業による土地の買い占めや乱開発を抑えるために「開発指導要綱」の制定することや低家賃の公共住宅の整備などを提案し、「子どもの声が聞こえるまちにしよう」とみなさんと力をあわせるとともに、「都心再生」、国家戦略特区構想など、国や東京都と一緒なり、中央区が巨大開発を進めている姿勢について、一貫して問題点を指摘してきました。
中央区には、銀座ルールという、地元の合意の元で、建物の高さを制限し、街の特性を生かした街づくりをすすめる、誇るべきルールがあります。
それなのに、一方では、八重洲や日本橋エリアは、規制緩和の大サービスで、高さ250mを超えるような超高層ビルを乱立させ、財界や大企業の利益追求の再開発事業に、補助金も投入し協力しています。これが、所信表明にある「世界一の都市を目指す東京都の牽引役」の仕事ということなのでしょうか。
4月の区長選、区議会議員選挙をきっかけに、持続可能なまちづくりを区民と一緒にすすめる自治体への転換が求められます。